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19話 月下の独占欲と、女神の返上

Auteur: みみっく
last update Date de publication: 2026-03-05 20:29:58

月下の独占欲と、女神の返上

「……それって、また……星野さんの家に上がるってことか。えっと……男女二人っきりは不味いだろ。ユカを呼ぶか……」

 ユウが動揺を隠すように妹の名前を出すと、ソフィアは柵を握る手にぐっと力を込め、どこか悲しげで、けれど強い意志を秘めた瞳でユウを射抜いた。

「あの、二人だけの秘密と約束をしましたよね……二人っきりはイヤ……ですか? ご迷惑でしたか?」

 その声は、夜風にさらわれて消えてしまいそうなほど繊細で、守ってあげたいと思わせるほどに儚かった。真っ直ぐに向けられるその問いに、ユウは喉を鳴らした。

「イヤじゃない。迷惑でもない……ただ、ユウと家で会ってるとバレれば、何もなくても変な噂が広まるだろ……女神さまの経歴に汚点が付くだろ」

 ユウなりに彼女の立場を案じた言葉だった。学校での彼女は不可侵の象徴であり、男子を部屋に招き入れたなどと知られれば、どんなスキャンダルになるか分かったものではない。

 だが、ソフィアは意外なほど冷ややかな、それでいて情熱を孕んだ瞳でユウを見据えた。

「そんな噂は、わたしは気にしませんし。女神さまの経歴ですか? それ、何の意味があるのですか? わたし、女神様じゃありませんし。汚点など思っていませんけれど……お礼を汚点呼ばわりされるならば不愉快です……」

 彼女は小さく鼻を鳴らし、ぷいっと顔を背けた。それは明確な拒絶ではなく、自分の真心を「汚点」と言い換えたユウへの、可愛らしい抗議だった。月光に照らされた彼女の耳たぶが、怒りか、あるいは別の感情か、林檎のように赤く染まっているのがここからでもよく見えた。

(……こんなに積極的に星野さんから誘われるなんて光栄だな。この辺に住んでいる奴は少ないからバレることもないか……)

 彼女がそこまで言うのなら、ユウが逃げる理由なんて一つもない。学校での「女神」という仮面を脱ぎ捨て、一人の少女としてユウに向き合おうとしている彼女の勇気に、ユウの心臓は暴力的なまでに高鳴っていた。

「……分かった。お礼、ありがたく頂戴するよ。今から行ってもいいか?」

 ユウの言葉に、ソフィアは再びこちらを向き、パッと花が咲いたような、この上なく幸せそうな微笑みを浮かべた。

土曜日への指折りと、ベランダ越しの約束

「いえ、あの……改めてで良いでしょうか。その……夜月くんの返事をいただいていませんでしたし。よろしければ、土曜日で良いですか?」

 ソフィアは少しだけ慌てたように両手を振った。今すぐにでも、というユウの言葉は嬉しかったのだろうが、彼女の中には完璧な状態でおもてなしをしたいという、いじらしい拘りがあるようだった。夜風に揺れる金髪を耳にかけながら、彼女は期待に満ちた、けれどどこか緊張した面持ちでこちらの返答を待っている。

「予定もないし大丈夫だぞ。楽しみにしてるな……」

 ユウがそう答えると、ソフィアは安堵したように、ふわりと柔らかな微笑みを浮かべた。その表情は、月光さえも霞んでしまうほどに優しく、そしてこの上なく可憐だった。

「はい。それでは、土曜日の夜にお待ちしています。……あまり期待しすぎないでくださいね?」

 少しだけ悪戯っぽく、けれど頬を赤らめながらそう言い残すと、彼女は名残惜しそうに一度だけこちらを振り返り、自室のカーテンの向こうへと消えていった。

 静まり返ったベランダに、ユウ一人だけが取り残される。手元のスマートフォンには、新しく追加された彼女の連絡先。そして数日後には、彼女の部屋で二人きり、彼女の手料理を囲むという約束。

(……土曜日、か)

 たった数日後のことなのに、ひどく遠い未来のように感じられた。ユウは、さっきまで熱中していたゲームの続きをやる気にもなれず、ただソフィアが消えていった向かいの窓をぼんやりと見つめながら、いつまでも鳴り止まない胸の高鳴りを持て余していた。

兄妹の絆と、芽生えた独占欲の疼き

 翌日の放課後、玄関の扉を開けた瞬間、家の中に満ちていたのは春の陽だまりのような賑やかな声だった。リビングから聞こえてくるのは、妹のユカと、そして聞き慣れたソフィアの楽しげな笑い声。その柔らかな響きに、学校での疲れがすっと溶け出していくような感覚を覚えながら、ユウはリビングのドアを開けた。

「ただいま」

 ユウが足を踏み入れた瞬間、ソフィアが挨拶を返そうと唇を開くよりも早く、小さな影が弾かれたようにこちらへ飛び込んできた。

「お兄ちゃん、おかえりー♪」

 ユカが満面の笑みを浮かべ、ユウの腰のあたりにぎゅっと抱きついてくる。その勢いのまま、彼女はユウの胸に顔を埋め、甘えるように身体を擦り寄せた。

 ソフィアは、その光景を正面から見据える形になった。彼女は知っている。ユカがどれほど兄であるユウを慕い、心から頼りにしている「お兄ちゃん子」であるか。そしてその情愛が、決して不純な恋愛感情ではなく、両親が不在がちな家庭環境ゆえの、切実で純粋な甘えであることも、理屈では十分に理解していた。

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